石原莞爾顕彰会事務局より

墓参された方々のご感想・ご意見を整理の上公開させていただいております。ノートを置いた平成13年からのものです。北海道から九州まで、小学生からご高齢の方まで老若男女、記名された方のうち約2割がこのノートに思いを綴られています。中には、遠方にも関わらず、二度以上訪れる方も相当数いらっしゃいます。石原将軍への熱い思い、永久平和への願い、この国のありようを考える、将軍の生き方に励まされた等々、記述の長短に関わらず、どれも真摯な思いが感じられるものばかりです。

【おことわり】 氏名・住所等から個人が特定できないように配慮させていただきました。できる限り原文のまま転記しましたが、ご寄付、書籍購入、その他、大意に影響ないところを割愛または簡略にした部分があります。また、内容・表現が過度な場合、語彙が読み取れない場合など、整理を控えさせていただいた箇所がありますこと、ご了承願います。当会の管理上のメモは省略。 ― 石原莞爾顕彰会事務局 ―

2011年7月3日日曜日

日輪講堂 清掃 第1回目

今月の石原莞爾ドキュメンタリー撮映で墓所を撮映する際に、日輪講堂も撮映で使うかもしれないという事情もあって、本日は博男さんのお手伝いで日輪講堂の清掃作業をいたしました。大量の蜂の死骸やら、ねずみの糞やら、何年分かわかりませんが、なかなか凄い状態。ゴザが劣化して、触ると粉になるような状態でした。怪しげな粉塵の舞う中、軍手をして、帽子をかぶって、マスクをして、フル装備での作業でしたが、今日はそこまで蒸し暑くはなかったのが幸いでした。本日は片付けと掃き掃除作業だけで時間かかなりかかってしまったので、拭き掃除は次回の予定。掃除の後の冷たいコーヒーが美味しかったです。

実は私、日輪講堂の中を拝見するのは、今回が始めてでした。以下は、本日撮映した内部の写真。

入り口から見た1階広間。正面はトイレ、右手がキッチン。



1階入って左手にある小部屋。博男さん一家も
一時期この部屋で暮らしていたそうです。

1階入って右手のキッチン。右側が2階広間への階段。

三原則のうつし。

2階の広間。農場の集会所として使用されていたそうです。

石原莞爾将軍の写真。机の写真は
取り壊し前の将軍宅の写真。

左は移設前の昔の日輪講堂。右の写真は、向かって右側が
遠藤甚吉氏で昭和29年日輪講堂移転の主唱者、 同左側が
佐久間卯吉氏で昭和19年日輪兵舎新築の棟梁、
撮影日は昭和29年8月15日。

2階の天井部分。 

1階にあった東亜聯盟ののぼり。清掃作業終了後の博男さん。

東亜聯盟ののぼりの拡大写真。

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