石原莞爾顕彰会事務局より

墓参された方々のご感想・ご意見を整理の上公開させていただいております。ノートを置いた平成13年からのものです。北海道から九州まで、小学生からご高齢の方まで老若男女、記名された方のうち約2割がこのノートに思いを綴られています。中には、遠方にも関わらず、二度以上訪れる方も相当数いらっしゃいます。石原将軍への熱い思い、永久平和への願い、この国のありようを考える、将軍の生き方に励まされた等々、記述の長短に関わらず、どれも真摯な思いが感じられるものばかりです。

【おことわり】 氏名・住所等から個人が特定できないように配慮させていただきました。できる限り原文のまま転記しましたが、ご寄付、書籍購入、その他、大意に影響ないところを割愛または簡略にした部分があります。また、内容・表現が過度な場合、語彙が読み取れない場合など、整理を控えさせていただいた箇所がありますこと、ご了承願います。当会の管理上のメモは省略。 ― 石原莞爾顕彰会事務局 ―

2016年10月30日日曜日

山形県 男性

  私は今春、大学を卒業し山形へ戻ってまいりました。大学で大川周明の研究をしたのだが、思想・宗教・哲学そして大川周明等思想家と私を出会わせて下さった方が、石原莞爾将軍でした。高校の歴史の授業で先生から「山形には石原莞爾というすごい軍人さんがいたんだよ」と教わり、それを何となく覚えていて、大学に入り図書館で石原将軍に関する本を読み漁る中で大川先生等と出会いました。私は大川先生へと惹かれていったが、石原将軍に魅力がなかったのではない。私は彼らから「平和とは何か」そして「いかにその平和を求めるべきか・求めゆくべきか」を悟らされた。石原将軍にも大川先生にもそして北一輝先生にもそれぞれの追い求める「平和」があった。大川先生、北先生は思想的な方面即ち「亜細亜主義」を掲げた理論的思想家であったが、石原将軍は軍というより実践的な立場から恒久平和を求め、その先駆けとして「五族協和〇〇〇〇」を掲げた「満州国」を創造しようとした。
   現在に生きる私たちは先人から何かを受け取り、それを自らのかたちに変換させて、自己を形成し〇〇していく。石原将軍の追い求めた「平和」、その実践的行為連関に見事に固められた将軍の思想、そしてその「まなざし」を思惟し、受け継いでいかねばゆかねばならないだろう。「異端児」的に生き、世界に自己を開いてゆく石原将軍の姿は「日本」という共同体におけるかけがえのない宝物である。また、その姿は「宗教的」に生きるのではなく、まさに「宗教」に生きることを如実に示しており、「人」の姿即ち人類普遍の「宗教」を探し求める者にとっては唯一無二の指標となりえるであろう。石原将軍を参拝できたことを〇〇に謝し、その遺志を受け継いでゆこうと決意しました。恒久平和のために。「至誠」「感謝」  
      ※ 〇印は転記の際、字が読み取れなかったもの(顕彰会事務)

2016年10月26日水曜日

群馬県 男性

久しぶりにお参りさせて頂きました。今日は、8月19日に逝去した母のことを報告に上がりました。 生前、同志の皆様に大変お世話になりました。改めて御礼申し上げます。墓所にお参りさせて頂き心が落ち着きました。深謝です。これからもよろしくお願い致します。

2016年10月13日木曜日

千葉県 男性

10年ぶりに、今日はバイクで千葉から直接ご訪問いたしました。その10年前と何も変わらず、日本を含めた東亜の秩序はお互いが憎悪の連鎖でかみ合いませんが、将軍が理想とする世がいつか来ると信じております。

2016年10月11日火曜日

神奈川県 男性

今と未来の日本国の人々の“志”の嵩さを石原莞爾先生に賜ったと存じております。

2016年10月5日水曜日

山形県 男性

私事ながら仕事で組織の中で苦しい時にあります。しかしながら郷里にこのような偉大な先人がおられた事を考えると恥ずかしい事はしていられないと反省しております。見聞を広め、深く考え、幸せを考えて生きていきたいと思います。ありがとうございます。

群馬県 男性

酒田の友人に案内されて石原将軍墓所に来ることができました。晴れて鳥海山が見渡せます。当時としては稀有な戦略家として尊敬して止みません。