石原莞爾顕彰会事務局より
墓参された方々のご感想・ご意見を整理の上公開させていただいております。ノートを置いた平成13年からのものです。北海道から九州まで、小学生からご高齢の方まで老若男女、記名された方のうち約2割がこのノートに思いを綴られています。中には、遠方にも関わらず、二度以上訪れる方も相当数いらっしゃいます。石原将軍への熱い思い、永久平和への願い、この国のありようを考える、将軍の生き方に励まされた等々、記述の長短に関わらず、どれも真摯な思いが感じられるものばかりです。
【おことわり】 氏名・住所等から個人が特定できないように配慮させていただきました。できる限り原文のまま転記しましたが、ご寄付、書籍購入、その他、大意に影響ないところを割愛または簡略にした部分があります。また、内容・表現が過度な場合、語彙が読み取れない場合など、整理を控えさせていただいた箇所がありますこと、ご了承願います。当会の管理上のメモは省略。 ― 石原莞爾顕彰会事務局 ―
2013年8月27日火曜日
2013年8月25日日曜日
2013年8月24日土曜日
東京都 男性
今年で墓参は3回目になります。中々日取りが合わずご命日に手を合わせることができませんでしたが、こうして手を合わせることができて良かったです。今日、日中との関係がうまくいっていませんが、もし先生ならどのようにして両国の関係を改善するのか・・・と思いました。先生が願ってやまなかった日中、そして東亜の平和はいつ成るのか・・。また来たいと思っています。
2013年8月16日金曜日
福岡県 女性
ご命日には間に合いませんでしたが、ようやく墓前で手を合わせることができました。先生は小学生の時から私の憧れでした。感慨無量です。ここを訪ねる前に先生の故郷である鶴岡にも参りました。(護国神社境内には先生の記念碑がありました) しかしながら偉大な御方であるにもかかわらず、地元での認知度が低いのは何とも悲しいものです。
神奈川県 男性
先の大戦で尊い人命を失いました。終戦を先延ばしにしたためです。為政者は国民の命を紙一枚ぐらいと思っていたのでしょう。東条英機を石原将軍は東条上等兵と呼んだことは、日本を東条には任せられないということが分っていたのだと思いました。
2013年8月15日木曜日
山形県 女性
去年・一昨年と参らせていただいている者です。現在、高校を卒業し東京で史学科への進学を目指して浪人しています。史学科へ進学し莞爾先生の生きた時代や思想について勉強したいのです。自分のなすべきことを再確認する良い機会となりました。頑張ります!!
埼玉県 父・子
小学生の時から来たかった墓所にやっと来ることができました。12歳の長男を誘って青春18きっぷを使って来ました。途中墓所が分らず「道の駅鳥海」の観光案内の方に親切に教えてもらい着いた時には感激いたしました。来るのと本だけ見るのとは大違いですね。これからもこの墓所を大切にして下さい。
僕は初めてこのお墓に来ました。来る前は旧墓地に行ってきました。何も知らなくて来てしまって、父が石原さんのことをよく教えてくれました。旧墓地には花が置かれていて、ここの墓地にもきれいな花がありました。また来たいと思っています。
僕は初めてこのお墓に来ました。来る前は旧墓地に行ってきました。何も知らなくて来てしまって、父が石原さんのことをよく教えてくれました。旧墓地には花が置かれていて、ここの墓地にもきれいな花がありました。また来たいと思っています。
2013年8月12日月曜日
2013年8月2日金曜日
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