石原莞爾顕彰会事務局より
墓参された方々のご感想・ご意見を整理の上公開させていただいております。ノートを置いた平成13年からのものです。北海道から九州まで、小学生からご高齢の方まで老若男女、記名された方のうち約2割がこのノートに思いを綴られています。中には、遠方にも関わらず、二度以上訪れる方も相当数いらっしゃいます。石原将軍への熱い思い、永久平和への願い、この国のありようを考える、将軍の生き方に励まされた等々、記述の長短に関わらず、どれも真摯な思いが感じられるものばかりです。
【おことわり】 氏名・住所等から個人が特定できないように配慮させていただきました。できる限り原文のまま転記しましたが、ご寄付、書籍購入、その他、大意に影響ないところを割愛または簡略にした部分があります。また、内容・表現が過度な場合、語彙が読み取れない場合など、整理を控えさせていただいた箇所がありますこと、ご了承願います。当会の管理上のメモは省略。 ― 石原莞爾顕彰会事務局 ―
2001年10月4日木曜日
2001年9月23日日曜日
2001年9月20日木曜日
2001年9月6日木曜日
2001年9月5日水曜日
島根県出雲市 男性
私が大学生の頃から将軍のことは何かと拝聴していました。戦局が非になりだした頃、私は体調を崩して臥床していましたが、折にふれご尊名をきいて懐かしく思っていました。
日本降伏後、遊佐へ隠退されたと聞いていましたが、久しく訪ねることもなく、漸く今日になってお参りすることができて、親に会ったような安らかな気持ちです。 惜しむらくは、将軍のご抱負が平和の中に展開されるとよかったと、残念に思っています。
日本降伏後、遊佐へ隠退されたと聞いていましたが、久しく訪ねることもなく、漸く今日になってお参りすることができて、親に会ったような安らかな気持ちです。 惜しむらくは、将軍のご抱負が平和の中に展開されるとよかったと、残念に思っています。
2001年9月2日日曜日
岩手県雫石町 男性
私は、最近まで戦争のこと、又、石原将軍のこと、又、将軍と深く関わった人々のことなど、全くと言っていいほど知らずに生きてきました。そして、今の日本を見、深く絶望した時に、たまたま将軍の著書に出会い、そして深く感動し、今後の道を見つけたのです。我々は先生の見ようとした 世界を現実のものにし、大きな理想の元に自分自身を立たせ、真正面に生きていかなければと思います。先生の意思は永久に不滅だと思います。
2001年8月25日土曜日
2001年8月16日木曜日
静岡市 男性
石原先生のお墓参りをさせていただきました。ありがとうございました。 アメリカ安保のこと、食料自給を高め食糧的植民地状態から解放すること等、石原先生が生きておられたらと思うとくやしいことばかりです。石原先生が生きておられたら、もっとまともな日本になっていたはずです。
仙台市 男性2・女性1
私達の父は当時、陸軍主計将校でした。幼児の頃、よく石原将軍の話を聞かされました。父も石原将軍にお会いしたことがありまして、その時の話をよく聞かされました。今日、偶然通り すがりに墓所にお参りさせていただきました。大変うれしいです。
2001年8月14日火曜日
2001年8月8日水曜日
地域不明 男性
在職間の研究テーマを将軍の件にしたことで、一度は墓参をと考えつつも長く果たせずにおりましたが、本日、機会を得て墓参を果たし大変うれしく存じました。
人類の永久平和は心ある人の大きな望みですが、大望過ぎて、達成が近づかないのも現実であります。将軍の夢が少しでも実現に近づくことを祈りたいものです。
人類の永久平和は心ある人の大きな望みですが、大望過ぎて、達成が近づかないのも現実であります。将軍の夢が少しでも実現に近づくことを祈りたいものです。
2001年7月31日火曜日
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