石原莞爾顕彰会事務局より

墓参された方々のご感想・ご意見を整理の上公開させていただいております。ノートを置いた平成13年からのものです。北海道から九州まで、小学生からご高齢の方まで老若男女、記名された方のうち約2割がこのノートに思いを綴られています。中には、遠方にも関わらず、二度以上訪れる方も相当数いらっしゃいます。石原将軍への熱い思い、永久平和への願い、この国のありようを考える、将軍の生き方に励まされた等々、記述の長短に関わらず、どれも真摯な思いが感じられるものばかりです。

【おことわり】 氏名・住所等から個人が特定できないように配慮させていただきました。できる限り原文のまま転記しましたが、ご寄付、書籍購入、その他、大意に影響ないところを割愛または簡略にした部分があります。また、内容・表現が過度な場合、語彙が読み取れない場合など、整理を控えさせていただいた箇所がありますこと、ご了承願います。当会の管理上のメモは省略。 ― 石原莞爾顕彰会事務局 ―

2008年1月10日木曜日

山形県東村山郡  男性

石原先生 謹賀新年 明けましておめでとうございます。世界平和のため自分の人生をかけて少しずつ進みます。武田邦太郎先生に出会えて良かったです。

2008年1月3日木曜日

茨城県竜ケ崎市  男性

久しぶりに来ました。やっぱり墓前にはきれいな花がいけてありました。思わず微笑んでしまいました。石原先生は偉大な人ですが、お墓を整備したり管理されている方々の熱意とひたむきさをここに来るといつも感じ嬉しく思います。本当にありがとうございます。ここに来る間に考えたことを記します。戦前の方々は「他の国と対等の関係でいたいと思っていたのではないのか」と思いました。理想として、お互いの国同士が五分と五分の関係でいることを望んでいたのではないかな?と考えました。できれば他の国を侵略なんかしたくないし、他の国の言いなりにもなりたくない。そんな現代の人と同じ感覚を持っていたのではないかなと考えました。しかし、当時の情勢は、ロシア(ソ連)の南下、アメリカなど先進国(?)のアジア進出などにより、日本にとってはハラハラドキドキの時代だったと思います。強大な国が日本のまわりにどんどん勢力を拡大してくるのですから、日本人は不安になったと思います。個人的には日清・日露戦争に勝利して、日本は世界一強く豊かな国だと思いあがった考えを持つ人は少なかったと思います。そんな時に石原先生は他の国々と対等であろうと努力された方なのかなと思いました。アメリカの言いなりにならないために国力をつけ軍事力も高める。また、中国とも対等の関係でアジアの平和を守る。満州国はもちろん、五族協和ですからみんな対等な関係です。上下関係は極力なくし、なるべく友人同士であろうとした。そんな理念をもつ石原先生に当時の方々も共感したのではないのかなと思いました。(この内容に歴史的事実と異なったところがあったら、申し訳ありません。 思ったことをこのノートに書かせて頂きました。)