石原莞爾顕彰会事務局より

墓参された方々のご感想・ご意見を整理の上公開させていただいております。ノートを置いた平成13年からのものです。北海道から九州まで、小学生からご高齢の方まで老若男女、記名された方のうち約2割がこのノートに思いを綴られています。中には、遠方にも関わらず、二度以上訪れる方も相当数いらっしゃいます。石原将軍への熱い思い、永久平和への願い、この国のありようを考える、将軍の生き方に励まされた等々、記述の長短に関わらず、どれも真摯な思いが感じられるものばかりです。

【おことわり】 氏名・住所等から個人が特定できないように配慮させていただきました。できる限り原文のまま転記しましたが、ご寄付、書籍購入、その他、大意に影響ないところを割愛または簡略にした部分があります。また、内容・表現が過度な場合、語彙が読み取れない場合など、整理を控えさせていただいた箇所がありますこと、ご了承願います。当会の管理上のメモは省略。 ― 石原莞爾顕彰会事務局 ―

2005年8月14日日曜日

秋田県鹿角市  男性

8月14日敗戦の前の日に来ました。これも日蓮聖人のお導きと思います。南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経。絶対平和を望みまた実践します。 初めて来ました。私は将軍とは手段こそ違え、恒久平和の思想の持ち主です。石原先生の本を読むとまるで今を預言しているところもあります。唯、日本は大国ではなく中等国です。日本が娑婆寂光土の妙法一乗の国になるのを切望しておりますが、信仰の自由を憲法では規定してますので、私も多元的思想は・・・不明・・・許容してます。

2005年8月10日水曜日

横浜市  男性

私は旧東亜連盟会員ではありませんが、青年時代から石原莞爾将軍に親炙してまいりました。昭和24年7月、西山農場内の御宅を訪問し、初めて謦咳に接しました。病床に端座し、「暑いから裸になりたまえ、何でも聴いてくれ」と言われました。戦争末期の二等兵だった小生は、中将閣下が優しく礼儀正しいのに深く感動しました。持参した「世界最終戦論」(昭和17年発行)に万年筆でご署名して頂きました。大切に保存しております。その翌月の8月15日にご逝去されました。承りますれば、重病で安静にしておられなければならないご容態でしたが、私は石原将軍が重病人であるというご様子を全く見せられなかった為、遠来の青年のために、一期一会の縁を結ばれたことを、悔恨と共に、深く感銘しております。  昭和51年8月15日の祥月命日に、初めて実弟石原六郎氏にお目にかかって、将軍の思想と信仰について、有益なお話を伺いました。不肖八十年の平凡な人生の中で、石原莞爾という昭和の英雄に出会ったことを無上の欣びとしております。

秋田県仙北郡  女性

旧墓所にも行ってきました。案内をしてくれた道の駅の支配人の方、ありがとうございました。