石原莞爾顕彰会事務局より

墓参された方々のご感想・ご意見を整理の上公開させていただいております。ノートを置いた平成13年からのものです。北海道から九州まで、小学生からご高齢の方まで老若男女、記名された方のうち約2割がこのノートに思いを綴られています。中には、遠方にも関わらず、二度以上訪れる方も相当数いらっしゃいます。石原将軍への熱い思い、永久平和への願い、この国のありようを考える、将軍の生き方に励まされた等々、記述の長短に関わらず、どれも真摯な思いが感じられるものばかりです。

【おことわり】 氏名・住所等から個人が特定できないように配慮させていただきました。できる限り原文のまま転記しましたが、ご寄付、書籍購入、その他、大意に影響ないところを割愛または簡略にした部分があります。また、内容・表現が過度な場合、語彙が読み取れない場合など、整理を控えさせていただいた箇所がありますこと、ご了承願います。当会の管理上のメモは省略。 ― 石原莞爾顕彰会事務局 ―

2012年12月18日火曜日

文藝春秋 新年号

雑誌、文藝春秋 新年号が同誌の創刊90年記念号で、その特集「激動の90年、歴史を動かした90人」に石原莞爾将軍が紹介され、私の伯母、宮城県石巻市在住の眞山文子氏が証言しています。実際に将軍に接した思い出が赤裸々に語られています。(290頁) 機会があったらご覧ください。

武田邦太郎先生ご逝去

 武田邦太郎先生が先月11月15日22時03分、酒田市にある本間病院で亡くなられました。 死因は肺炎とありましたがほとんど老衰ともいえる満百歳での安らかな大往生でした。(正確には12月20日がお誕生日) 最後まで付き添った娘さんの安代さんと看護師さんによるとほとんど眠るように息を引き取られたとのことです。最後まで明晰な精神と信仰は保持されておりました。故人とご家族の「静かに送ってほしい」とのたっての希望でお知らせを控えさせて頂いておりましたこと、あしからずご了承くださいませ。

 戦後、石原莞爾将軍がこの地に村作りを決意されて入植されたのを機に、相前後して武田先生も入植されました。以後、石原将軍の信任が厚かった先生は開墾地の農場で指導的立場に立ちました。当初から村作りに参加した事実上最後の当事者でしたが、その意味では一つの時代が終わった感があります。なお、当地の国道7号線バイパスの建設に関わる石原将軍の新墓所建設ではやはり中心的にその実現に尽力されております。

 ここに武田邦太郎先生が歩んでこられた足跡を簡略ではありますがふり返り先生を偲ぶ縁としたいと思います。

                     ありし日の武田邦太郎先生