石原莞爾顕彰会事務局より
墓参された方々のご感想・ご意見を整理の上公開させていただいております。ノートを置いた平成13年からのものです。北海道から九州まで、小学生からご高齢の方まで老若男女、記名された方のうち約2割がこのノートに思いを綴られています。中には、遠方にも関わらず、二度以上訪れる方も相当数いらっしゃいます。石原将軍への熱い思い、永久平和への願い、この国のありようを考える、将軍の生き方に励まされた等々、記述の長短に関わらず、どれも真摯な思いが感じられるものばかりです。
【おことわり】 氏名・住所等から個人が特定できないように配慮させていただきました。できる限り原文のまま転記しましたが、ご寄付、書籍購入、その他、大意に影響ないところを割愛または簡略にした部分があります。また、内容・表現が過度な場合、語彙が読み取れない場合など、整理を控えさせていただいた箇所がありますこと、ご了承願います。当会の管理上のメモは省略。 ― 石原莞爾顕彰会事務局 ―
2008年12月19日金曜日
2008年11月27日木曜日
山形市 性別不明
私はある所の記念館に勤めているものです。直接、館と関係ありませんが他県の人によく先生の事を聞かれ、あまり良く知りませんので遠かったけど一度来てみました。庄内町の成沢米蔵先生がお書きになった石原先生の本はちらっと見た事がありました。もっともっと深く勉強しまして、また訪ねてみたいです。 書籍購入。
2008年11月23日日曜日
2008年11月1日土曜日
2008年10月25日土曜日
高知市 男性
故郷、四国の高知です。中学の親友の父上様が石原先生の遺志を継いで、「農工一体研究所」として高知市政活動に邁進されていたことを思い出します。その先生の三男は「莞爾」と命名されていました。高知から山形に単身赴任で来て、こうして墓所に来られて感銘の極みです。
2008年10月22日水曜日
2008年10月19日日曜日
2008年10月11日土曜日
2008年10月3日金曜日
2008年9月12日金曜日
2008年9月11日木曜日
2008年9月5日金曜日
2008年9月2日火曜日
2008年8月27日水曜日
2008年8月19日火曜日
2008年8月17日日曜日
2008年8月16日土曜日
茨城県竜ケ崎市 男性
約八カ月ぶりに来ました。恥ずかしながら普段は仕事などに追われ、戦争のことや戦争で亡くなった先輩方のことを考えず、ただ自分のまわりの世界の中だけで生活しています。八月になると毎年先の大戦のことや平和について考える機会が多いです。石原先生がアメリカとの戦争に備えて努力されたこと、日中連携の道を探り努力されていたことなど、この八月になると改めて偉大な方だったと思いなおすことがたびたびあります。今日は鶴岡市の図書館へ行ってきました。石原先生の自筆の文献や日記などを拝見させていただきました。差別のない平和な世界の実現を目指していたんだなと、改めて感じました。ささやかながら、私もそんな日本と世界の実現の力になれるよう、がんばろうと思いました。
2008年8月15日金曜日
2008年8月11日月曜日
2008年8月1日金曜日
2008年7月21日月曜日
2008年7月11日金曜日
2008年6月26日木曜日
2008年5月28日水曜日
2008年5月14日水曜日
2008年5月4日日曜日
2008年4月23日水曜日
東京都 男性
学生時代に石原将軍に関する本を読み感銘を受けました。今日はお参りできてとてもいい日、感動の日となりました。心身ともに清らかに生き、将軍のような立派な日本人になりたいと思います。 墓所周辺も大変きれいです。鈴木様が毎日献花されていると伺いました。お疲れ様です。
2008年4月4日金曜日
2008年4月3日木曜日
2008年3月8日土曜日
2008年1月10日木曜日
2008年1月3日木曜日
茨城県竜ケ崎市 男性
久しぶりに来ました。やっぱり墓前にはきれいな花がいけてありました。思わず微笑んでしまいました。石原先生は偉大な人ですが、お墓を整備したり管理されている方々の熱意とひたむきさをここに来るといつも感じ嬉しく思います。本当にありがとうございます。ここに来る間に考えたことを記します。戦前の方々は「他の国と対等の関係でいたいと思っていたのではないのか」と思いました。理想として、お互いの国同士が五分と五分の関係でいることを望んでいたのではないかな?と考えました。できれば他の国を侵略なんかしたくないし、他の国の言いなりにもなりたくない。そんな現代の人と同じ感覚を持っていたのではないかなと考えました。しかし、当時の情勢は、ロシア(ソ連)の南下、アメリカなど先進国(?)のアジア進出などにより、日本にとってはハラハラドキドキの時代だったと思います。強大な国が日本のまわりにどんどん勢力を拡大してくるのですから、日本人は不安になったと思います。個人的には日清・日露戦争に勝利して、日本は世界一強く豊かな国だと思いあがった考えを持つ人は少なかったと思います。そんな時に石原先生は他の国々と対等であろうと努力された方なのかなと思いました。アメリカの言いなりにならないために国力をつけ軍事力も高める。また、中国とも対等の関係でアジアの平和を守る。満州国はもちろん、五族協和ですからみんな対等な関係です。上下関係は極力なくし、なるべく友人同士であろうとした。そんな理念をもつ石原先生に当時の方々も共感したのではないのかなと思いました。(この内容に歴史的事実と異なったところがあったら、申し訳ありません。 思ったことをこのノートに書かせて頂きました。)
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