石原莞爾顕彰会事務局より

墓参された方々のご感想・ご意見を整理の上公開させていただいております。ノートを置いた平成13年からのものです。北海道から九州まで、小学生からご高齢の方まで老若男女、記名された方のうち約2割がこのノートに思いを綴られています。中には、遠方にも関わらず、二度以上訪れる方も相当数いらっしゃいます。石原将軍への熱い思い、永久平和への願い、この国のありようを考える、将軍の生き方に励まされた等々、記述の長短に関わらず、どれも真摯な思いが感じられるものばかりです。

【おことわり】 氏名・住所等から個人が特定できないように配慮させていただきました。できる限り原文のまま転記しましたが、ご寄付、書籍購入、その他、大意に影響ないところを割愛または簡略にした部分があります。また、内容・表現が過度な場合、語彙が読み取れない場合など、整理を控えさせていただいた箇所がありますこと、ご了承願います。当会の管理上のメモは省略。 ― 石原莞爾顕彰会事務局 ―

2020年11月4日水曜日

萬谷和子様に聞く「石原莞爾先生ご夫妻との出会い」令和2年10月29日

このたびある方のお勧めがあり、酒田市でお茶・陶器などを商う「萬谷」の専務、萬谷和子さんにお会いしました。「萬谷」は300年の歴史をもつ由緒ある名店です。その和子さんが石原莞爾先生とその奥様にお会いしていると聞いてお訪ねしたのです。石原先生は今年が71回忌。直接お会いした方も少なくなり、居たとしてもそれを語れる方はさらに少なくこれは自然の流れです。そのようなことで是非お話を聞いてみたいと思いました。和子さんは93歳ですがお歳を感じさせない明快な語り口と記憶力、聞き手に時間を感じさせない力がありました。


 【石原莞爾先生との出会い】  
昭和14年、和子さんが14歳の時、「面白い話をする人が来る」と人に聞き興味を持ちました。自分はお転婆だったそうです。当時は戦争の 気配が色濃く娘心にもそれは感じられました。その話を聞きに行くのは夜でした。厳格な父でしたので分からないように8時位には帰るつもりで 出かけました。酒田駅前の本間というお宅に行くと10人位の人が集まりました。もちろん女の人は自分1人です。初めに東亜連盟の歌を皆で歌いました。 歌い終わると1人が立ち上がって話始めましたがそれが石原先生でした。「日本は戦争に負ける」と言ってそのわけを理路整然と説きました。 娘の自分にもよくわかる話し方でした。当時は戦争に向かう時代で法に触れかねないお話の内容です。 娘心にこれは他言してはいけないことだと分かりました。商家に育ったので言っていいこと悪いことが身についていたのです。 しかしそのお話の結果は、石原先生の言われた通り日本の敗戦になりました。戦後は新日本の建設三原則「都市解体」「農工一体」「簡素生活」を発表された立派な方でした。その先見性、世界全体を見る力を感じて石原先生に興味を持つようになりました、と話されました。 

【石原夫人銻テイさんとの出会い】  
戦後、「萬谷」へ粉茶を買い求めに来る品のいいご婦人がいました。立ち振る舞いが上品で和服姿、話し言葉は標準語、その上美人でしたからどこのお方か興味がわきました。週毎に3本の粉茶を求めるので来客が多い家と思いましたが、石原夫人と分かるのはしばらく後のことでした。週毎に来店されるので次第に顔見知りになり話を交わすようになりましたが、他の客が入ってくるとすぐにお話を切り上げて帰るという遠慮深い方でした。ある日いつものように話を交わしていました。話の流れで和子さんが自分の主人は陸軍士官学校の出ですと言った時、石原夫人はびっくりしたお顔をされてご自分の夫と同じことを知りました。和子さんと銻さんの距離が縮まるきっかけでした。それ以来石原夫人との交流は深まりました。そのうち銻さんは遊佐町菅里にできた老人ホーム松涛荘に入られ、その後鶴岡の荘内病院に移り昭和49年に亡くなられました。その間、和子さんは幾度となく石原夫人に面会に行き交流は最後まで続きました。夫人はそこにいる人に私の親戚ですと紹介していたそうです。和子さんは銻さんのことを、品が良く凛とした佇まい、機転が利いて相手の立場を思いやる、女性として尊敬できる方でした、と話されました。   

萬谷和子さんのお話はこのほかに、ご自分が歩いてきた経験・幾多の人との出会いについて尽きることのないお話がありました。言うなれば石原ご夫妻との 出会いもその中の一つなのでした。人との出会いがあって今の自分がある。出会いがいかに大切なものであるか力を込めて話されました。神様が色々な人に 出会わせてくれました。商人は色々な立場の人とお付き合いができる。人との交流の中で人生を切り開いてきた私は商家に生まれて幸せでした。13年前に 亡くなられたご主人隆吉氏から、人との出会いの事を「貴女は不思議な人生を歩いている」と言われた、と話されました。
                                                                文責 歌川博男

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