石原莞爾顕彰会事務局より

墓参された方々のご感想・ご意見を整理の上公開させていただいております。ノートを置いた平成13年からのものです。北海道から九州まで、小学生からご高齢の方まで老若男女、記名された方のうち約2割がこのノートに思いを綴られています。中には、遠方にも関わらず、二度以上訪れる方も相当数いらっしゃいます。石原将軍への熱い思い、永久平和への願い、この国のありようを考える、将軍の生き方に励まされた等々、記述の長短に関わらず、どれも真摯な思いが感じられるものばかりです。

【おことわり】 氏名・住所等から個人が特定できないように配慮させていただきました。できる限り原文のまま転記しましたが、ご寄付、書籍購入、その他、大意に影響ないところを割愛または簡略にした部分があります。また、内容・表現が過度な場合、語彙が読み取れない場合など、整理を控えさせていただいた箇所がありますこと、ご了承願います。当会の管理上のメモは省略。 ― 石原莞爾顕彰会事務局 ―

2011年9月22日木曜日

『石原将軍の思い出』 遊佐町 歌川博男

昭和24年8月15日早朝に石原将軍はご逝去されましたが、当時5歳だった私は前夜から両親に連れられて御宅にいました。部屋いっぱいの人達の中、将軍のお顔近くでお別れをしたことをぼんやりと覚えています。これは人に聞いた話ですが、私達は将軍の家から数百m南側に住んでいましたが、ある時期、将軍にお飲みいただく山羊乳を私が一人で運んだというのです。しかし幼かった私は将軍のお姿とともにその記憶はぼんやりとしたものです。

私の生母は私が12歳の時に病で亡くなりましたが、詩や散文等を書くことが好きでした。昭22年1月(私が3歳の頃)の日記に、私に話しかける情景を「吾子」と題して散文風に綴っています。・・略・・一番好きな人は?「閣下ヨ」とはずかしそうにくびをまげる・・以下略。将軍にはなんとなく好々爺の印象を持っていましたがこれを見てうなずけます。父母はお忙しい将軍に私の命名をお願いしていました。将軍から頂いた電報に「博ハク、男ダン」とありますが、日蓮聖人ゆかりの九州博多からいただいたと聞いております。 以上

1 件のコメント:

  1. 山本誠一郎2016年6月22日 18:44

    かねてから念願であった石原将軍への墓参は、亡き友人と30年来の約束でした。将軍の名前は生前親父から人柄についてきいてましたが、昭和15年に京都で将軍の講演をきいたようです。私は将軍とはまったく縁もゆかりもありませんが、親父から聞いた人柄について興味も持ち、将軍の事は著書や書物などで読み、姿勢と人間性については傾倒するところが大で、いままで自分が生きてきた指針になってきました。亡くなって70年近く経ってなお、魂がみんなの心の中に生きている将軍はほんとうに偉大な人だったのでしょうね。6/18に将軍の旧墓に参りましたが、当初見つけられずに新墓にお参りしていたところ、将軍の導きのように歌川先生にお会いして、わざわざ旧墓所に案内していただき、念願の墓参をする事ができました。歌川先生にお会いできたことはありがたいご縁で天佑でしょうね。これからもこのご縁を大切に関係の皆様方とおつきあいさせていただきたいと願っておりますのでご指導をお願いします。

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