石原莞爾顕彰会事務局より

墓参された方々のご感想・ご意見を整理の上公開させていただいております。ノートを置いた平成13年からのものです。北海道から九州まで、小学生からご高齢の方まで老若男女、記名された方のうち約2割がこのノートに思いを綴られています。中には、遠方にも関わらず、二度以上訪れる方も相当数いらっしゃいます。石原将軍への熱い思い、永久平和への願い、この国のありようを考える、将軍の生き方に励まされた等々、記述の長短に関わらず、どれも真摯な思いが感じられるものばかりです。

【おことわり】 氏名・住所等から個人が特定できないように配慮させていただきました。できる限り原文のまま転記しましたが、ご寄付、書籍購入、その他、大意に影響ないところを割愛または簡略にした部分があります。また、内容・表現が過度な場合、語彙が読み取れない場合など、整理を控えさせていただいた箇所がありますこと、ご了承願います。当会の管理上のメモは省略。 ― 石原莞爾顕彰会事務局 ―

2010年1月4日月曜日

茨城県竜ケ崎市  男性

1年ぶりにお墓に来ました。雪の中ですがきちんとお花がいけてあり手入れされているのをまず感じました。また小屋に入るとDVDや資料が前より増えていて大変嬉しく思いました。関係者の皆様いつもありがとうございます。今、私なりに石原先生の魅力をまとめると以下の通りです。
1.日本の主権を守るため、国力をつけるため日本と満州の貿易を盛んにし経済を高めようとした。
時代背景として、不況、ロシアの南下政策、アメリカのアジア侵出などがあります。
2.当時、中国を軽んじる指導者が多かったが、石原先生は中国と日本の対等な関係を築こうとした。 (中国、満州への思いやりを感じます)
3.アメリカに勝つため、あるいはアメリカとの戦争を避けるため、国力をつけ軍事を強化しアメリカに支配される日本にならないように努力された。
4.大局的な判断ができる方。日中戦争不拡大方針、二・二六事件での迷いのない判断など。
〈願い〉当時の時代背景を踏まえて、石原先生のとった行動を評価してほしいと願います。昭和の時代に石原先生のような偉人がいたことをもっとたくさんの人に理解してもらいたいです。 中国大陸へ日本が進出したのは明治時代からです。理由は時代が帝国主義で、日本は国を守るために富国強兵策をとったからです。日清、日露戦争でも日本は大陸の方に進出しています。  昭和の戦争や満州事変だけを取り上げて、大陸へ進出した当時の日本を非難するのは、少しバランスを欠いていると思うのですが。思うところを、生意気なことを書いてしまいました。間違ったところもあるかもしれません。何卒ご容赦下さい。

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